あけましておめでとうございます。
元日は、朝起きて二度寝して、おせち食べて昼寝して、初詣にでかけて夕寝して、おせち食べて、夜寝るまで、うつらうつらしていた1ミリ書店員です!
次の日が仕事だったため、あっという間にいつもの生活に戻ったもん。
お仕事して、疲れた脳みそに追い打ちをかけたのは、おうちのポストに入ってた賃貸契約の契約満了と更新手続のお知らせだよ。
引っ越ししたいのに、良い家が見つからないから、契約更新するしかないよ。
もっと給料上がれば、もう少し良い家に住めるのに~。
お金ください。
切実。
そういえば、年末にヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読みました。
読んだと言っても、しっかり読んだのは途中までで、最後のほうはパラパラと斜め読みしただけ。
ちゃんと読めませんでした。
すらすら読める部分と、どうしても頭に入ってこない部分があって、急発進と急停車を繰り返してるみたいな読書体験。
「意識の流れ」を手法とした読み物は、わたしには早すぎたのか。
なんかちょっと悔しい。
そして、元旦に読み終わったのが、第170回の芥川賞にノミネートされた、川野芽生さんの『Blue』です。
集英社のwebサイトには「社会規範によって揺さぶられる 若きたましいを痛切に映しだす、いま最も読みたいトランスジェンダーの物語」と紹介されていました。
どなたかのおすすめとして挙げられていた作品で、読んだ後は「こりゃあ、考えたくなるお話だなあ」というのが最初のシンプルな感想でした。
真砂という子が主体でお話は進みます。
ざっくりと、高校生のときのおはなしと、大学生になったときのお話の二つに分けられるかな。
私は大学生になったときのほうがすんなり頭に入ってきました。
というのも、高校生のときのお話は、登場人物の性別がはっきり分からなかったからです。
分からないというか、確信が持てなかった。
あいまいに、「こういうことだよな」とふわふわしたマシュマロの上で読んだ感じでした。
一人称が、女子だから「わたし」とか、男子だから「ぼく」を使用するなんてことではなく。
それが大学生になってはっきりしました。
イメージとしては、ふわふわした夢から醒めたような感じとでもいうのでしょうか。
私よりも、二歩も三歩も先をいくというか、別の考えを持つ登場人物たちに、私は「はへぇ」と敬服いたしました。
なんか、やっぱり、難しいことがらだよね。
興味深い作品でしたが、若干物足りなさを感じてしまいました。
もっと欲しい。
「もっと来いよっ!」みたいな気持ちになりました。
機会があれば、ぜひ読んでみてください。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。